佐多で出会ったねこ達と、無責任な願い事。

 

アイキャッチ画像撮影:鮫島歩


 

GW始まりましたね〜

かざり(@kazali0617)です。

 

今年のGWは特に予定もなく「佐多でのんびり過ごすか〜」と呑気な態度でしたが、なんだかんだ連絡をしたりもらったりして、楽しみな予定がたくさんです。

改めてカレンダーを見てみるとGWの10日間の内、佐多で過ごす時間は半分くらい。

この記事も佐多の我が家ではなく、鹿屋の実家で書いています。

しばらく佐多に戻らないと「元気かな〜」と頭に思い浮かべるのが、佐多で暮らす猫、通称佐多ねこ達です。

 

佐多で暮らす猫

わたしのTwitterやインスタを見てくれている方はご存知だと思いますが、佐多の我が家の周辺には、猫がいます。

港町だからかフラっと散歩に出かけただけで、ほぼ100%猫を見かけます。

彼らにはそれぞれナワバリや仲間意識があるようで

「この辺で見る猫はあちらでは見ない」「家の周辺から数分離れただけなのに、普段見ない猫を見た」と佐多で暮らし始めてから、猫という単語を口にする回数がグッと増えました。

 

去年(2018年)の6月に移住した時は、訝しげに腰を引きながらこちらを睨んでいた猫たちでしたが、移住して10か月経った現在では横を歩いても知らんぷり。

「猫にも慣れってあるんだな〜」と日々学ばせてもらっています。

 

 

癒しを求める存在に

ガーッとPCで作業した後や気分が晴れない時は、癒しを求めて家の玄関を開けます。

そしてしばらくしゃがみこみ、ぼ〜っとよその家の植木を見ていると、「ニャオン」と軽快な鳴き声が聞こえ、猫が姿を見せてくれます。

はじめの頃は愛想がいい一匹だけが相手をしてくれていたのですが、だんだんと増えていき、今ではタヌキ、茶色、白の三匹がレギュラーメンバー。

 

晴れの日は大体姿を見せてくれるので、嬉しくなっていつの間にか「おはよう」と話しかけるようになりました。

「いってくるね」「いついつに帰ってくるよ」「あ、今日はもうお終いなの」とかける言葉のバリエーションが増えるごとに、猫じゃらしの数も増えています。

 

「名前つけないの?」

以前友人に「猫に名前とかつけてないの?」と聞かれましたが、タマとかミルクとかいわゆる名前らしい名前はつけていません。

理由は、情が湧きすぎてしまう気がするから。

すっかりメロメロなので今更無駄な悪あがきですが、気持ち的に最後のハードルは超えないようにしています。

 

とはいえ「今日はこんな猫を見たよ」と彼と話す時に固有名詞がないのは不便なので、見た目の特徴でタヌキっぽいからタヌキ。毛が茶色だから茶色と、情が湧きすぎないギリギリのラインでの名前はつけています。

数か月に渡るコミュニケーションの末に、タヌキと茶色の性別は判明しましたが、白の性別は未だ不明。

わたしが彼らについて知っている情報は、見た目から得られるものと、佐多で暮らしていることぐらい。

 

「ここに永住するわけではない」

 

少しの後ろめたさが、必要以上に彼らと近づくのを恐れているのかもしれません。距離を縮めすぎるとその日がきた時に悲しくなりすぎてしまう。

カゴでも買って無理やりにでも詰め込んで、次の場所へ連れて行ってしまいたくなる。

 

そんな勝手は許されない。

だから名前なんかつけない。

どうせ数か月もすれば、彼らもわたしのことなんて忘れるから。

 

今は来たるその日に向けて、これまで以上に彼らの姿を写真と動画に納めています。

いつでも見返せるように。いつでも思い出せるように。

 

無責任な、願い事

動物を飼ったことがないから知らなかったけど、絆って対人間じゃなくても生まれるんですね。

それはわたしという人間の勝手な思い込みかもしれないけれど、警戒して毛を逆立てていたタヌキが指先にチョンと鼻先をつけてくれたり、目が合い一歩踏み出すと速攻で走り去っていた茶色が日向ぼっこをするわたしの近くで体勢を楽にして目を閉じていたり。

彼らと言葉を交わすことはできないけれど、心が通じ合っているような。

 

彼らに対して何の責任も取らないわたしがこんな風に書くのは無責任すぎてダサいけど
「猫っていいなあ」と心から思いました。

わたしは猫アレルギーだからこの先猫を飼うことはないけれど、その分保護猫支援の団体を応援したり情報を追いかけることで、間接的に猫飼いになれたらいいなあと思います。

 

退屈そうで気高くて、自由気ままな佐多の猫たち。

どこまで人間と土地を共有し続けられるかわからないけれど、彼らの穏やかな生活があの港町で続いていくことを、無責任に願っています。

 

あわよくばわたしの猫アレルギーの完治と、ねこ達が食べるものに困りませんように。

そして再びあの土地に遊びにいった時は、姿を見せてくれますように。