お久しぶりです〜。またぼちぼち書いていきます〜……を繰り返し続けている、まわるピングドラム状態のランセルフラボです。

(見たいと思いつつ、何年も見れていないアニメ)

ブログが書けなくなった要因の一つとして、新しい仕事を始めたことがある。

それはわたしに固定給という安心を与えてくれたが、それと引き換えに、あれこれ好き勝手に表現することを奪っていった。

とまあ、ちょっと大袈裟に表現してしまいましたが、詰まるところ今のわたしは肩書きに縛られているのである。

その肩書きを通してわたしを見る人、知る人、読む人に対してどう思われるかが不安で、そうなると筆が進まない(正確にはパソコンのキーボードが打てない)のである。

でも、流石に書きたくなってるよ?

そんなわたしが、なぜこうしてゴリパラ見聞録を流し見しながらブログを書いているかというと、流石に書きたくなってきているから。

以前はブログの更新頻度が高ければ高いほど良いと思っていたし、一定のペースを保てている自分が好きだった。

けれど次第に更新頻度が落ち、せめて月1で……としがみついた大木のような強い心は、蓋を開けてみれば弱々しい雑草だった。

一応、誕生日の時だけは記録のため、将来読み返す自分のためと、半ば無理やり言葉を紡いでいたが、正直なところはブログのことをあまり考えないようにしていました。

そんな後ろめたい日常を数ヶ月過ごしたある日、とある会話を通して「わたしって、やっぱり自分の内側に溜まっている言葉を人目につきそうなところに置きたいんだ」と気づきました。

これだけ書かないと、流石に書きたくなってくるよ?ってやつ。

距離を置いたからわかった、恋人の存在みたいなやつ(あゆむさんとの関係は良好です)

その会話自体は特にポジティブなものではなくて、どちらかというと愚痴に近い内容だったのだけど、おかげさまでこうして新しい1本を生み出すことができている。

SNSで告知するやつと、そうではないやつで分けよう

ワンセルフラボを数年前からご覧いただいている方は既にご存知かと思うが、ブログのトップページを変えました。

変えた理由は数年前に、尊敬するヨーダ氏から「君はパブリックとプライベートを分けた方が良いかもね」とアドバイスをもらったから。

「その方が君に仕事を頼みたい人が、お願いしやすくなるかもね」と。

その温かい言葉をもらった時は、なんとなくわかります。ぐらいの印象だったのだけど、日を追い、年を重ねるごとに納得感が富士山よりも高まってきて、いよいよ行動に移したのである。

今のところ、noteをパブリック。こちらのワンセルフラボをプライベートとして分けている。

おかげさまで自分にとってワンセルフラボの存在が精神的により身近なものになったし、noteを触る時は違うチャンネルに切り替えられるようになった……気がする。

それと同じようにワンセルフラボで書く文章についても、SNSで告知して橋渡しをするやつと、ひっそりとお供えするものとで分けようと思います。

例えば、1本前の”多媒体で記事を書きました”みたいなお知らせ系は、SNSでもお知らせする。

でも今書いているこの取り止めのない文章みたいなやつは、気づいた人だけが読めば良いと思うから、あえて放置しておく。

わたしの文章を好きだと思ってくれている人は、こっちで紡いでいる言葉の方が好きなのね。多分。

そういう意味では届けるタイミングがズレてしまうので申し訳ないのだけど、逆に放置する方が良きタイミングで届くこともあると思うので、そうします。

ああ、なんか頭の中だけにあった感情が、こうして言葉の形で外に出ていくことが気持ち良い。

薄い長袖がちょうど良いぐらいの季節に、フラフラとお散歩している時ぐらい気持ち良い。

 

ということで、またぼちぼちと。