「新卒の2人、交代で議事録をお願いね」

2016年、大学卒業後に環境ビジネス系の会社に入社した。

地方のベンチャー企業だったこともあり、新卒は私を含めて二人。同期は一人だけだった。

会社の規模によっては、同期だけで数百人。

入社後は数ヶ月研修が続く……といったこともあるようだが、私の場合は入社して数週間後には、先輩が運転する車に乗って営業に同行していた。

それは人手が限られていて、経営状況が芳しくなかった会社の状況を考えると仕方がないことで、私たち新卒に会社が求めていることは、現場で手を動かすことだった。

目まぐるしい新卒生活の中で、具体的に会社から命じられたことの一つが「議事録を書くこと」だった。

毎週月曜日に行われる定例ミーティングの内容を、文章で記録する。

言葉で表すとなんてことない作業だが、当時の私は必要以上にプレッシャーを感じていた。

今でこそ天狼院書店のライティング・ゼミに通い、平気な顔で文章を書いているが、2016年の私は自分の書いた文章が誰かに評価されることに、かなり抵抗があった。

当時も文章を書くことが好きで個人ブログを運営していたが、インターネットという特性上、読んだ人からフィードバックをもらうのは稀だった。

たまに「面白かったです」「共感しました」とコメントをもらうことはあっても、対面で感想をもらうことは本当に珍しいことだった。

正直なところ、他人から評価される機会が少ないからブログを続けられていた、と言っても過言ではない。

あの頃は自分が書いた文章に対して、他人から意見を言われることを異常に怖がっていた。

自分の文章に低い点数をつけられることを恐れていたのだ。

自分が好きで書いた文章に対して、面白くない、つまらないと言うレッテルを貼られるのが怖い。

今思えば、小さな自尊心を精一杯守ろうとしていたんだなあ。

そんな心持ちの中で命じられた議事録作成は、かなり億劫だった。

会議の記録自体は大学時代のインターンシップで取ったことがあったけど、レベルとしてはおままごと。経験値としてカウントするには、お粗末だった。

さらに嫌だったのは、新卒二人で交互に書かないといけないこと。

私一人だけだったら、比較対象となるのは先輩が書いたもののみ。先輩と比べて新人が劣っているのは当たり前、と考えれば私の小さな自尊心は守られる。

しかし、相手が同じ新人の場合は? 残念ながら優劣がついてしまうのだ。

人のジャッジする能力は恐ろしい。

冷酷に、そして正確に、どちらが劣っているのかが判断されてしまう。

もし自分が書いた議事録が、劣の方だったら? 

大事に守ってきた自尊心が崩壊する……。

会社を離れて7年経った今は、「そんな大袈裟な……」と笑い飛ばせるが、7年前の22歳の私は本気で怖がっていた。

結論から言うと、当時の会社は経営的に本当に深刻な状況だったようで、新人の議事録に優劣をつけている暇はなかったらしい。

私もそんな社内の雰囲気から、「良いとも悪いとも言われないからこのままで良いか」と思っていた。

そういうわけで、自分が書いた議事録が機能するようなクオリティになっていたかどうかはわからない。しかし、議事録を書くという場数はそれなりに踏ませてもらった。

そうして、2022年。現在の私は個人事業主として仕事をしている。

去年までは企業やお店に取材に行って記事を書くようなライティングの仕事がほとんどだったが、今年は冊子製作の工程管理や、プロジェクト全体を扱う広報など、仕事の幅が少し増えた。

これまでは個人で仕事をすることが多かったが、今年はチームで仕事をすることも増えた。

そうやって複数のプロジェクトに関わっていくと、余裕がある時は問題ないのだが、忙しくなってくると全てのプロジェクトを同じように把握するのは難しくなる。

どうしても優先順位が高いものから取り組まざるを得なくなり、少し間が空いてしまったプロジェクトは「あれ? どこまで進んでたっけ?」と手が止まり、どんどん仕事が後回しになってしまう。

かといって、いちいち関係者に「今誰が何を進めている段階なんだっけ? 私が担当しているこれの締切はいつだっけ?」と質問するのは、仕事ができない奴だと思われそうで気がひける。

そんな時にとても役に立つのが、議事録だ。

会議の内容が記録されている議事録は、ゲームでいうところのセーブポイントみたいなもので、各プロジェクトの現在地を再確認することができる。

新卒時代は議事録を取るという行為に対して、自分の文章が評価されることに対する恐怖を抱いていたが、個人で仕事をするようになってからは、議事録が果たす役割がかなり大きいことを実感するようになった。

それからは特に議事録が求められていない状況でも進んで議事録を取るようになり、他の人が取った議事録を見て「これは議事録の役割を果たしていないな」と思うこともちょっとだけ増えた。

偉そうだけど、議事録を見る目が肥えてきた、ということなのだろう。

そうして10月の三連休。

私はとあるイベントに参加するために、鹿児島から東京に向かった。

目的は、憧れのコピーライターを生で見ること。

文章や言葉を扱う仕事をしている人なら、その名前を必ず耳にしたことがあるようなレジェンド級の人が登壇する貴重なイベントだった。

そんなイベントだから、会場内の撮影や録音は禁止。となれば、持ち帰りたい情報は、自分でメモに残すしかない。

いよいよ始まったイベントは、対談形式。

テンポ良く交わされる会話に、あわあわしながらメモを取る……という流れになるかと思いきや、かなりスムーズにメモが取れている自分がいた。

そうして「これって何かに似てるな……」という既視感が湧いてきて、「そうだ、これって議事録を書いている時の感覚だ!」

はじめは億劫でしかなかった議事録作成だけど、数年間続けている内に、それなりの技術になっていたようで、イベント中の「これは良いこと言ってるな」という情報のあらかたをメモという形で持ち帰ることができた。

「若い時の苦労は勝ってでもしろ」ではないけれど、はじめは嫌々やっていた行為でも、次第にその面白さや重要性に気づいていく。

そうして取り組んでいく内に、段々とその技術が上がっていって、自分の身を助けるような話は、今回以外でもあると思う。

はじめは憂鬱なことも、手を動かし続ければ何かしらの果実が実る。

そんな風に考え続けていければ、この先の億劫な壁もなんとか乗り越えて、良いビジネスライフを歩き続けられるような気がした。

 

 

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本記事は、天狼院書店が主催する「ライティング・ゼミ」で提出した課題文です。

2022年10月に公開した文章で、当時29歳でした。(ちなみに、今は31歳です)

 

過去に書いた文章を公開することにした背景は、以下の記事からご覧いただけます。

2025年あけましておめでとうございます