先日、こちらが一方的に知っていて、前々から「一度で良いから、お話ししてみたい」と思っていた人と、目を合わせて話す機会があった。

何度か同じ空間で時間を過ごすことはあったものの、直接会話をしたことはなく、

「そんなん、自分から積極的に話しかけたら良いじゃん」という内なる自分がいないこともなかったのだが、その反面、

「まあ、無理しなくても良きタイミングで話せる時が来るでしょ」と思っている自分もいて、一旦機が熟すのを待っていたのである。

(”積極的”と”無理している”の境界線の判断って微妙なところだよね……積極性ってある程度のストレスがかかるもんね……)

俯瞰している自分と、はしゃいでいる自分

わたしはいわゆるミーハー気質で、そういう広い意味での憧れの人と対面すると(例えば、アーティストのライブに行ったり、読破した本の作家さんのイベントに参加したりすると)わかりやすくテンションが上がる。

いや、テンションなんてものじゃなくて、体が跳ねる。言葉そのままに。

(そして、めっちゃ脇汗をかく)

さらに、ミーハー心と合わせて、いわゆるオタクっぽい一面も持ち合わせているので、いざ本人を目の前にするとドモってしまったり、本来伝えたかった思いを言葉にできなかったりする。

でも、そんなミーハーまるだしの自分と並行して、そんな自分を俯瞰している自分もいて、

「わ〜!わたし今、憧れの人と喋っている!」と興奮している脳みそで、同時に「自分はしゃぎ過ぎじゃない?大丈夫?」と思っている。

それは目の前に存在している憧れの人に嫌われたくないというか、失礼がないようにしたいという心の反動からくるものだと思っていて、

(いずれにせよ、憧れの人と会話をするという夢描いた一瞬が過ぎた後は、その時の自分の振る舞いを反省してしまうのだけど。まあ、記憶がないことも多々あるけど)

そんな風に興奮と冷静さが入り混じっている一瞬がわりと好きだったりするので、それが癖になってミーハーを繰り返しているのかもしれない……と先日の出来事をふりかえって思いました。