「人生で1回ぐらいはやってみたい」

この記事をご覧の皆さんの中にも、たった一度きりの人生、挑戦できるチャンスがあるならやってみたい。と思い浮かぶことが、ひとつやふたつあるのではないだろうか。

わたしの場合は、フルマラソンだった。

わたしのマラソンにまつわる最も古い記憶は、2000年のシドニーオリンピック。

女子マラソンの高橋尚子選手が、金メダルを獲った大会だ。

”35km付近でサングラスを投げた”と書けば、「ああ、あの大会ね」と思い出す人も少なくないだろう。

2000年当時、わたしは7歳だった。

おそらく学生時代に陸上部に所属していた母が見ていたテレビ中継を、たまたま自分も見ていて、たまたまそのシーンが目に入っただけのことだと思う。

少し特別だったことは、母が学生時代に短距離走や走り幅跳びで県大会優勝の経歴を持っていたこと。父も、学生時代に走ることに力を入れていた時期があったこと。

そのおかげでわたしも、小学校1〜2年生段階では男子よりも速い足を持っていて、100名ほどいた同学年の中では、短距離走でも長距離走でも負けなしだったこと。

つまり、幼い頃の自分にとって「足が速い」というのは、大きな自慢だったのである。

だから、走ることで世界一位を獲った高橋尚子選手が、とても輝いて見えたし、その後のニュースで繰り返し放送された「サングラス投げ」は、幼少期の自分の脳みそに深く刻まれたのだった。

「自分もいつか、Qちゃんみたいにマラソンを走ってみたい」

そう思うのは、自然の流れだったような気がする。

 

そうして、25年後の今年1月。

わたしは、鹿児島県指宿市で開催の「菜の花マラソン」に出場した。結果は、制限時間の8時間を2分オーバーしたものの、無事完走。

いや、ゴールラインを超えた直後から足を引きずり、翌朝には寝返りも打てないほどの筋肉痛になり、しかもそれが3日間。挙げ句の果てには、1ヶ月ほど右膝裏の痛みが抜けなかったので、全く無事ではないのだが、目標に掲げていた完走はなんとかやり遂げたのである。

42,195km。ゴール後に見たiPhoneの歩数計は、50,000歩以上を記録していた。

5万歩って……、ディズニーランドに行った時でも2万歩ぐらいだったぞ。

正直スタート直後は、7〜8,000人が一斉に走り出すこともあり、その非日常感に興奮して、想定より調子良く走れていた。

1kmごとに現れる看板を写真に撮る元気もあったし、ゲストランナーに2ショットをお願いする余裕もあった。

実際、20kmを過ぎたあたりでは「あと半分。この調子でいきたい!」と、かなり前向きな気持ちで走れていた。

問題は、そこから先。言葉では聞いたことがあったが、心の底から思った。

「人生はマラソン」

「登り続けていれば、いつか下り道が来る」

「登りはゆっくりでも、一歩ずつ進めば大丈夫」

 

24km時点では、もう修行だった。地獄。つらい。寒い。しんどい。

出場エントリー自体は友達と一緒だったものの、早めの段階でバラバラになっていたので、励まし合いながら走っている人たちを見て「良いな」と思った。声をかけあえる、話せる人がそばにいるって、本当にすてきなこと。

時々、ギブアップした人を乗せたバスが追い越して行った。また、数メートル先を走っていた人が、自ら車に乗り込む姿を見ることもあった。

「わたしも……、乗せて……」

ホラー映画の貞子のように、這いつくばって手が伸びそうになったが「ここまで来たらゴールの方が近い」と自分を奮い立たせ、励ましながら一歩ずつ進んでいった。

「他人は他人。わたしは、わたし」

「遅くてもいつかはゴールに辿り着けるから大丈夫」

声に出すことは無い、自分だけに聞こえる自分の言葉。

普段の生活では聞こえづらくなってしまう、内に秘めた感情が「がんばれ、自分!」の意味を込めて、湧き水のように次から次に湧き上がった。

そうして見えてきた、あと1kmの文字。

さいごはグラウンドを回って、フィニッシュゲートをくぐっていく。

 

初めてのフルマラソンを走り終えて思ったことは、自分への感謝と称賛だった。

「自分を見直した!」

「無いと思っていた“根性”は眠っていただけで、ちゃんと自分の中にあった」

「決めたことをやり遂げてえらかった!」

「格好良い」

「自分のことを、またひとつ好きになった」

 

高橋尚子選手が、シドニーオリンピックで優勝した時のタイムは、2時間23分14秒。

超人だよ。長編映画を見ている間に、フルマラソンを走り切るなんて考えられないよ……!

 

とはいえ、わたしも42,195kmを走り切った。

まあ、歩いている時間のほうが長いぐらいだったけど、ゴールしたことには違いない。

人生で1回ぐらいはやってみたい、と始めたフルマラソン挑戦が、こんなにしんどいとは思わなかった。

しかし、我ながら、かなり素敵な挑戦だった。

「人生で1回ぐらい」と思っていることへの挑戦は、なるべくやった方が良い。