お風呂に入りながら、いろいろ考えがちな
かざり(@kazali0617)です。
今日はお風呂に入りながら考えた
自分の声に敏感になっていたいぞについて!
(なんじゃそりゃ)
自分の声が聴こえるか?
シャワーを浴びながら、自分の声が聴こえにくくなりやすい時代だから、気をつけないとなあと思いました。
ここでいう自分の声とは
自分が何を考えているか、わかっているか?知っているか?ということです。
わたしにはわたしの意見があるのに
わたしが学生の頃、SEALDsという学生団体がニュースで話題になりました。
当時のわたしの彼らに対する意識は、ほとんど無。
理由は、自分のことで精一杯だったから。
他県の、他大学の学生の行動にまで意識が向いていませんでした。
あるイベントで言われたこと
ニュースでSEALDsが話題になっている時に、鹿児島市で開催されたイベントに参加しました。
学生社会人関係なく参加できて、ワークショップ形式のイベント。
そこで初対面のある社会人の方とお話ししました。
話の前後を覚えてないから、その人がどういう意味で言ったかはわからないけど(誰が言ったのかも覚えてない)
その人は、わたしを見ながら
「そっか。学生さんがみんなSEALDsの子と同じ意見じゃないんだね」と言いました。
言われた瞬間
え?
当たり前じゃない?
と反発に近い感情が生まれたけど言えませんでした。
理由は、SEALDsに所属している彼らと自分の考えの違いがわからなかったから。
SEALDsという学生団体があることは知っていたけど、誰がいつ何のためになぜ作ったのかまで知らなかったから比べようがなかった。
でも1つだけ感じたのは
「社会人からしたら、SEALDsの意見=学生の意見なのかも」ということ。
大きい声にのみ込まれる恐怖
これまでの学校生活や社会人生活の中で、
声が大きい誰かの意見が、まるで全員の意見みたいに扱われたこと、ありませんか?
そして、さいしょは
「いや、わたしは全然違う意見なんだけど・・」と思っていたのに、
だんだんと大勢の意見と近くなっていって、気づいたら自分の意見が小さくなり、消えてしまったこと
ないですか?
いつの間にか、自分の声が聴こえなくなってしまい、自分の気持ちがわからなくなってしまったこと
ないですか?
自分は何を考えているのか?
入ってくる情報に対して「自分だったらどう考える?」がという問いがなくなると
途端に自分のことがわからなくなるなあ、ということを痛感する出来事でした。
入ってくる情報が多すぎて、誰かが言っていた言葉をさも自分が考えたような顔をしてトレースしてしまうことがあるなあと。
そんな日々が続くと、ますます自分が何を考えているかが見えづらくなって、自分の声が聴こえづらくなって
「ああ、徐々に自分を見失っていくな」と切なくなりました。
自分の声に、敏感になっていたい
自分に主張したいことがないならそれでもいいけど、
わたしは自分らしさを持っていたいと思うから、自分の声には敏感になっていたいです。
そうしておかないと、自分の声がかき消されて、今、自分は何を考えているか?がすぐわからなくなってしまうから。
そこがわからなくなると、自分が何に興味があるかもわからなくなって、自分の進む道が見えなくなるんだ。
(そういうことが度々ありました。)
一回迷うとぐるぐる迷路みたいに悩んでしまうので
日々ブログを書く中で自分のポジションを意識して、自分の声に敏感になっておく必要がありますね。
そして、自分の声に敏感になるのと同じぐらい、他人の声にも敏感になっていたい。
瞑想してるみたいにブログを書けることがある。
いつでも瞑想しているように心静かに書けるわけじゃないけど、何かゾーンに入った時はスラスラ言葉が出てきてキーボードを叩く手が止まらなくなる。
そういう時間を日常に増やして、自分だから書けることを増やしていきたい。
(そして共感を得たい)— 花咲里(かざり)@鹿児島のブロガー (@asuparagasu0617) 2018年1月24日