いよいよ始まった天狼院のライティング講座。
複数の知人から同時期に「天狼院は良いぞ」とおすすめされて、前々から気になっていた講座だ。
参加した理由には、20代最後の一年を充実させたかった。
切磋琢磨する仲間が欲しかった。など大きなものから小さなものまで色々あるが、一番大きな理由は「自分自身の言葉の力を高めたい」と思ったからである。
私が言葉に興味を持つようになったのは、小学生の頃。
5教科の中で不思議と国語だけは勉強しなくても点数が取れて、作文の授業でも「用紙が全然埋まらない」と嘆く周囲に反して、私の作文用紙は埋まらないどころか紙が足りなくなるくらいだった。
内容に関しても先生に褒められることが多く「言葉っておもしろい!」と魅力を感じるようになった。
中学生に上がると、友人から借りた小説をきっかけに読書の魅力に気づき、ひとつの趣味として楽しむようになった。
高校に進学すると、ビジネス書や自己啓発本など小説以外のジャンルも読むようになり、毎月のアルバイト代で両手に抱えるほどの本を一気買いするようになった。
当時の私にとっては、それが最もカッコ良くてイケてる行動だった。
将来の進路について考え始める高校2年生の頃には「小説家になりたい」と夢描くようになり、言葉の魅力にますますのめり込んでいった。
しかし、某アニメの主人公のように小説を書こうと意気込んで鉛筆を持っても思うように進まない。
小学生の時にはスラスラと埋まった用紙が数行書いては手が止まり、一旦消してはまた手が止まり。
そうして段々と「自分には才能がないんだ」と夢を追いかけるワクワクよりも諦めの気持ちが勝り、いつしかそんな夢も見なくなった……。
というのがありがちなパターンだが、ところがどっこい。そんな私に強い味方。
いや、強い言葉が現れた。
それはとある本の「小説家はいろんな職業を経験した後になれる唯一の職業」という一文である。
医者から小説家にはなれるけど、小説家から医者になるのは難しい……と続くその本の言葉を真に受けた私は、再び前を向けるようになり、とりあえず高校を卒業し、大学に入学した。
大学生活で何か熱中できるものに出会えたらそちらへ進もうと思っていたが、結局小説家への憧れは捨てられず、ひとまず自分の書いた文章を誰かに見てもらう機会を作ろうと、個人ブログを始めた。
読んだ本の感想や、暮らしの中でのふとした気づきなどを自由に書いていく内に、少しずつ読んでくれる人が増えていった。
「おもしろかったです」「共感しました」という感想をもらうこともあって、言葉に対する自信が次第に大きくなっていった。
その中で「言葉に関する仕事は小説家だけじゃない」と思うようになり、インタビュー記事や求人記事も書いてみたい、と新しい憧れを追うようになった。
そうしてブログの開設から半年ほど経った頃から少しずつ依頼をもらうようになり、今はライターという肩書きで仕事をしている。
小説家という夢はまだ叶っていないが、インタビュー記事や求人記事を書きたいという思いは達成されて、それなりに楽しい日々を過ごしている。
とはいえ、そんな日々に「本当にこれで良いのかな?」と疑問も感じている。
はじめにライティング講座に参加した理由として「言葉の力を高めたい」と書いた。それは今の自分が頭打ち状態にあるからだ。
仕事を依頼してくれるクライアントはありがたいが、彼らは言葉のプロではない。
私が提案した言葉に対する返答は感覚的な評価が多く、私はそれを元に推敲を繰り返している。
しかし、推敲する私自身も言葉のプロではないため、明確な基準がない。
クライアントよりは言葉の力を持っているつもりだが、それがどの程度なのかもわからない。
国語が得意な幼少期を過ごし、運よく大人になってからも言葉を使った仕事ができているが、始まりがブログだったこともあり、体系的に言葉を学んだことがないのだ。
指導されたこともない。そんな自分の状態のことを野良猫に例えて、野良ライターと表現することがある。
今のままでは、その辺に落ちている残飯から仕事を探さなければならないし、いつまでもナワバリ争いという名の価格競争に身を置くことになる。
そんな状態では楽しく言葉を紡ぎ続けることは難しいし、限界が来たらせっかく続けてきた言葉の仕事も手放さないといけなくなるかもしれない。
いつかは小説家! という夢を持っているから、そんな悲しい事態は絶対に避けたい。
だからこそ、この4ヶ月で何とか自分の言葉の力を高めたい。
ライティング講座の言葉で表現すると「2000文字を最後まで読まれる可能性を高めたい」だ。
そのためには自分自身がもっと言葉に触れないといけないし、もっと評価を受ける必要がある。
自分が名乗っているライターとは形ばかりだな、と改めて思ったのは、この1回目の課題をヒーヒー言いながら書いているから。
16回課題を提出した後にどんな風景が待っているかはわからないけれど、今よりはマシな状態になっていることを願いながら、次の課題に向かおうと思う。
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本記事は、天狼院書店が主催する「ライティング・ゼミ」で提出した課題文です。
1本目の課題として、2022年9月に書きました。本記事は、今年の1月から公開してきた文章とは違って、天狼院サイトへの掲載は叶っていません。
約2年半、わたしのパソコンの中に眠っていた原稿です。
評価は得られなかったけれど、我ながら「当時の想いが赤裸々に語られていて、良い文章だな」と思います。
数年前に確かに自分が書いた文章だけど、どこか他人が記したもののような。でも心のどこかに、あの時のちょっと焦る気持ちも残っていて……。
文章のタイムマシンに乗っているような、くすぐったい気持ちになりました。
過去に書いた文章を公開することにした背景は、以下の記事からご覧いただけます。