「あの神社には、龍神様がいるんだって」
横を歩いている彼女が突然話題を変えるから、一瞬頭が混乱した。
は?と書かれたわたしの顔が目に映っているはずなのに、彼女は続ける。
「龍神様のおかげで守られてるんだって。その証拠に台風が来ても、不思議と神社の上は通らないらしいよ」
証拠という言葉の意味をわかってないんだろうな…と思いながら、興味があるような表情を作り、耳を傾ける。
「あの神社の拝殿の上にさ、龍の絵が描かれているじゃん。あれって龍神様だったんだね〜」
良くも悪くも彼女のいいところは、このマイペースさだ。彼女の全ては彼女が決める。隣を歩いていようが関係ない。
全ての主導権は、彼女が握っている。
「龍神様に感謝して、毎月お参りする人も多いらしいよ」
それでさ…と続く次の言葉を待っていたけれど、その先はなかった。
どうしたの?と言おうとして隣を歩く彼女を見ると、携帯を耳に当てていた。もしもし…と電話の先の相手と話し始める。
自分に向けられていた意識が、あっという間に次の誰かへ。
本当にマイペースだなあ…と半ば呆れながら、わたしの意識はついさっきまで彼女が話していた、龍神様なるものへ向けられていたーー。
自分は、龍神様に助けられたって
「あの神社には龍神様がいるらしいんだけど、そんな話し聞いたことある?」
鵜呑みにしたわけではないけれど、間を持たすために口に出してみた。
久しぶりに帰省した実家。今はもう母だけが住んでいる、わたしが生まれた家。
仲が悪いわけではないと思うけれど、一通り近況を話し合った後は決まって会話が続かなくなる。
静寂に気づかないフリをしてテレビでも見ておけばいいものの、わたしの口は間を嫌がる。
そう考えるとマイペースではあるものの、永遠と話し続けてくれる彼女はいい。彼女といる時は間が持ち続ける。
静寂が訪れない。
「龍神様かどうかはわからないけれど、神社なんだから神様ぐらいいるんじゃない?」
そうだよね…と、せっかくの話題が、数秒で消えていった。
こんなにも母と会話を続けることが難しくなったのは、いつからだろうか…。
「そういえば前に」
静寂が破られる。
「近所のおじいちゃんが2〜3日行方不明になって役場の人に発見された時に、自分は龍神様に助けられたって話したらしいよ」
「行方不明になる前に最後に姿を見たのが山の方だったから、役場の人は山の中を探したみたいだけど、発見されたのはあの神社の近くの海岸だったって」
「けっこう雨が強くて、もしかしたら見つからないかもねえって噂になってたけど、発見された時は元気ピンシャンで。役場の人も驚いてたって」
「行方不明になった原因を探るためにあれこれ質問したけど、龍神様に助けられたとしか答えないから、これはとうとうボケたのかってーー」
龍神様なんて、いるわけない
「ねえねえ、龍神様って知ってる?」
帰省ついでに寄った親戚の家で、姉の子どもに尋ねられた。
誰に聞いたの?と相手の質問に答えずに、自分の質問を重ねる。
まともに会話するのが面倒な時に使う、大人の嫌なテクニックだ。
「学校でね、いま噂になってるの!」
「あの神社にお願いしにいくと欲しいものを買ってもらえたり、テストで良い点が取れるんだって」
「ソフトボール部は今年の初詣に部員みんなでお願いに行って、この前の県大会で初めて一回戦を突破したんだって」
優勝ならまだしも、一回戦突破って…と言おうとしたところで思いとどまる。
田舎の学校なんてそんなものだ。人数を揃えるだけで精一杯なところも多い。
「だからね、僕もこんど連れて行ってもらうの!」
お母さんに?と聞くと、そう!とキラキラと輝いた瞳を向けられた。
どんな願い事をするの?と間を持たせることために質問すると、こいこいと手招きされたので、耳を近づける。
それは、ささやくような声で
「本当はね、龍神様なんているわけないって知ってるけど、学校のみんなにそんなこと言ったらいじめられちゃうから話しを合わせてるの」
「あの神社には今度行くけど、それはお母さんと出かけるための口実なの」
早口で並べられた言葉に、最近の子どもも大変だな、と小さく同情するのと同時に、母とのお出かけにそこまで喜べる幼心に少しだけ胸が締めつけられたーー。