1/22に、今の自分を大事にする為に、4回目の170人会議には参加しなかった。という記事を書きました。
この記事では
今年170人会議に参加しなかったのは、
他人のわくわくエネルギーを自分のエネルギーにする時期が終わったから。
とわりと強気に書いたんですけど、内心書くのにめちゃめちゃ勇気がいりました。
「強めな言葉を使ってるなあ」「170人会議をエンジョイした人からすると水を差すような事書いてるよなあ」とヒヤヒヤしながらキーボードを打ちました。
でも、「1人くらい変なことを言う奴がいてもいいんじゃないか」「意外と共感してくれる人もいるかも」と希望に近い感情も持っていました。
蓋を開けてみると、数人の方から「参加しなかったブログめちゃめちゃ共感したよ!」とか「考えさせられました」という感想を直接いただいて「書いてよかった!」と胸をなでおろしました。
170人会議の放送を見た
2/25に、170人会議の当日の様子がMBC(鹿児島のローカル局)で放送されました。
170人会議に参加しなかった理由をブログに書いたくせに、実はとてもとても当日の内容が気になってました!
放送があるとFacebookで知った時は、速攻録画予約をしました。
そして、放送当日。
リアルタイムで見ました。めちゃめちゃ集中して見た。ガン見。
さすがMBCさん。
ダイジェストとはいえ、プレゼンター全員見れたんじゃないかな。
SNSだけでは取れなかった情報もたくさん知れて、すごくありがたかったです!
今年の170人会議はプレゼン時間が1人10分だったから全員分放送できたのかな。
もしや、運営陣はテレビ放送の編集のことまで考えてプレゼン時間を1分に設定したのかな。とあれやこれや考えながら見ました。
テレビにはいっしょにご飯を食べた人、イベントで話したことがある人、Facebookで繋がっている人など、たくさんの知人が写っていました。
どの人も170人会議という1日を楽しんでいるように見えました。
改めて考えた、参加しなかった理由
これは、わたしが170人会議のテレビ放送を見ながら書いたツイートです。
今年参加しなかった理由に「他人のワクワクにワクワクさせてもらう時期は終わったから」って書いたんだけど他人のワクワクしている姿を見ているだけで元気になることはあるしそれが日常の幸せを増やすこともあると思ってる。
大事なのは他人のワクワク摂取中毒にならないこと。
#鹿児島未来170人会議— 花咲里(かざり)@鹿児島のブロガー (@asuparagasu0617) 2018年2月25日
このツイートをした瞬間「ああ、わたしが本当に言いたかったのはこういうことだったんだ」と気づいたので、再び170人会議について記事にすることにしました。
前置きがすごく長くなってしまいましたが、わたしが170人会議に参加しなかった本当の理由について。
よかったら読んでください。
わくわくという大事な感情
わたしは人生において、「わくわく」という感情をとても重視しています。
具体的にどんな状態の感情かというと、「楽しみで仕方がない」とか「そのことを考えるだけで心が軽くなる」とか「ついついニヤけてしまう」という感じ。
そのことを自覚したのは大学生ぐらいですが、今思えば高校も大学もわくわくを基準に学校を選んだし、「将来は小説家になりたい」と口にするのも、人に伝える度に小説家になった自分を想像してわくわくするからです。
(場合によっては、ドキドキするとも言う)
しかも、そのわくわくが「どんなエネルギーの元でわいたわくわくなのか?」もめっちゃ大事。
誰かがわくわくしている姿を見て「応援したい!」「その未来いっしょに作りたい!」というエネルギーなのか、それとも「わたしはこれが好き!」「絶対あんな風になりたい!」というエネルギーなのか。
つまり、エネルギーの元が他人なのか、自分なのか。
個人的にはその違いをわかっていることがすごく重要。
なぜかというと、その違いがわかっていないと自分が空っぽになってしまいそうで怖いから。
自分自身でわくわくのエネルギーを生み出せない人間になりたくないから。
だから、前の記事では「他人のわくわくエネルギーを自分のエネルギーにする時期が終わった」とわくわくをキーワードに使いました。
とはいえ、他人のわくわくが必要な時期もある
生まれつきわくわくするのが得意な人もいます。
でも、そんな器用な人間だけではない。
自分自身でわくわくするのが苦手な場合は、他人のわくわくする姿にエネルギーをもらう時期が必要です。
というか、単純にわくわくしている人の近くは居心地がいい。
前向きだし明るいし、元気だし。
でもずっとその位置にいると「他人のわくわく摂取中毒」になってしまって危険です。
最悪の場合、寄生虫みたいになってしまう。
わくわくする人に囲まれると、まるで自分の内側からわくわくが発生しているように勘違いしてしまいます。
麻痺してくると、自分のことが何もわからなくなる。
「あれ?あの人はあれが好きだけど、わたしは何が好きなんだっけ?」「わたしってどこを、何を目指してたんだっけ?」となってしまい気づいたら自分のことが何もわからなくなっている。
わたしはそんな悲しい自分になりたくないので、自分のわくわくに自覚的でありたい。
自分のわくわくが明確になることで、他人のわくわくにも敏感になれるし、その逆も然り。
大事なのはバランス。
今のわたしは自分自身でわくわくを生み出せるようになってきた(ような気がする)
170人会議に参加しないと決めた時に、わたしは他人のわくわくエネルギーに頼る時期が終わったんだなと自覚しました。
本当に言いたかったこと
自分でわくわくを生み出せないからって、他人のわくわくエネルギーを求めるゾンビにならないこと。
そんなことしてたら、他人のわくわくの寄生虫になっちゃうんじゃない?
自分のわくわくの元はどこにある?
ということがわたしが本当に言いたかったことです。
170人会議、だいすきです。
関わる中で成長させてもらったし、すてきな出会いばかりだったし、すごく勉強になった。
そんな場を一旦離れてみる。
すごく勇気が必要だったけど、多分イニシエーションだったんだと思います。
自分自身でわくわくを生み出せるようになる為の。
それか「よそのことばっか見てないで、ちゃんとこっちを見て!」という内なるわたしの心の叫びだったのかもしれません。
あ〜、自分が本当は何を考えてたかに気づくとスッキリする〜。
170人会議に参加してなくてもおっきな学びを得られる、170人会議最高です!
ありがとうございます。
書けてよかった!
スッキリ。ふふ。