いつか子どもを産みたいなら「やりたいことはやって、行きたいところには行っとくべき」

他人としゃべっている時に思わぬ本音が飛び出してしまうことってありますよね。

かざり(@kazali0617)です。

先日、目上の人としゃべっていて「自分の視野が狭いといつか産む子どもの選択肢が狭まってしまう」という言葉が自分の口から飛び出してびっくりしました。「わたしそんなこと考えてたのか!」って。

そこで今回は、自分の口からでた思わぬ言葉について考えてみました。

 

子育てするとしたら

皆さんは子育てをしたい。いつか自分の子どもが欲しいと思いますか?

わたしは元々結婚願望が強いタイプじゃなく、絶対に子どもを産みたい!とは思ってませんでした。

でも彼と2年ちょっと付き合って色々な話しをする中で、「いつかは子どもが欲しいかも」と思うようになりました。

今のところ別れる予定はないので、このままいくとどこかのタイミングで彼の子どもを産むことになります。わたしは妄想力がたくましいので子育てしている自分たちについて度々考えるのですが、そこでいつも頭に浮かぶのが「稼ぐ力を持った人に育てよう」です。

自分で幸せを見つけられる人とか、自分の気持ちを表現できる人とか色々思いつくけど、どれも稼ぐ力があってマトモな生活ができて精神が安定しているから身につけられるものだよなあと思ってます。(多分この考えはちょっとずつ変化する)

 

人生100年時代の子育てってどうしたらいいの?

以前参加したしんめいさんのイベントで『LIFE SHIFT』について学びました。

そこで出てきた人生100年時代というキーワード。今を生きる子ども達は100才まで生きるらしいです。

ということは、人生は80年時代の教育は通用しなくなり、人生100年時代に適した新しい教育が必要になります。人生100年時代、家庭ではどんな教育をしたらいいのでしょうか?

わたしは中学生から携帯を持ったけど、わたしが産む子どもは多分もっと早くテクノロジーに触れる。しかも今より高度で性能がいい。

そんな時代を生きる子どもの価値観ってどんなものか想像つかないし、どう育てたらいいのかなんてわかるわけない。思春期の頃に「考え方が合わない。この人とは価値観が違う」と親としゃべるのが嫌になったように、次はわたしが子どもに対して嫌な気持ちをさせてしまうのだろうか。

など色々妄想します。

でも時代が変わっても簡単に変わらないものもあると思う。いつの時代も変わらない人間に必要な能力。そのひとつに「稼ぐ力」があると思います。

 

我が子に稼ぐ力をつけてもらうために

我が子に稼ぐ力をつけてもらえるかどうかは親の生き方が大きく影響します。

職業選択が自由になった現代でも蛙の子は蛙というように、親が医者だから子も医者。親が弁護士だから弁護士という親子は案外多い。

蛙の子は蛙理論を重視する場合。わたしが我が子に稼ぐ力を身につけてもらいたいなら自分でビジネスをやってみることが今のわたしにできるベストな選択に見えるけど、意外と違うような気がする。

理由は3つ。
1、我が子のやりたいことがわからない。
2、今の時代のビジネスが未来と一緒かわからない。
3、今の時代の稼ぐと未来の稼ぐは意味が違うかもしれない。

 

じゃあいつか産む我が子に稼ぐ力を身につけてもらうために、今のわたしはどう生きるのがベストか?

答えは「やりたいことはやって、行きたいところには行く」ここで重要になるのが、子育てにおける親子の不幸なミスマッチだ。

 

子育てにおける親子の不幸なミスマッチ

親子の不幸なミスマッチとは、将来子どもが稼いでいけそうな可能性があるのに、それを親が気づかずに潰してしまうこと。

人間の思いつく「やりたいこと」には全てビジネスチャンスがあります。子どものやりたいことを潰してしまう=稼げる可能性を潰してしまうということ。

わたしの場合、高校時代アニメがとにかく好きで(今もすき)声優さんとしてアニメに関わりたいと思っていました。高3の進路選択の時期に母に「福岡にある声優になるための学校に行きたい」と相談するも了承を得られず大学に進学しました。

大学に進学したこと自体は後悔してないけど(楽しかったし)高3のあの時、声優の学校に行ってたらどんな自分がいたんだろうとたま〜に妄想します。

などなど、わたし以外にも親を説得しきれず望んだ進路に進めなかったり、または話しさえ聞いてもらえないとか、相手にしてもらえないなど、親と考えや価値観が合わず憤慨した経験がある人は多いはず。(今幸せかどうかは別として)

親と子の考えや価値観がズレているために子どもの選択=やりたいことが失われてしまう現象のことを、ここでは「親子の不幸なミスマッチ」と呼びましょう。

では、親子の不幸なミスマッチはなぜ起こってしまうのでしょうか。

 

我が子が自分の想像の範囲から出るのが怖いから

※これはわたしの妄想です。

例えば子どもが「留学したい」と親に伝えた時に、親に留学経験があったら留学にかかる費用について知ってるし(国によるけど)日本と外国での生活の違いを経験済みだから「どの国がいいの?」「そこで何をしたいの?」「なんで行きたいの?」という建設的な会話ができるけど、留学したことがない場合は「え、どれぐらい費用がかかるんだろう」と狼狽えてしまいそうです。

最悪なのは、親自身が留学したいと思っていたのにできていなかった場合、「わたしができなかったのに、子どものあなたにできるわけがないでしょう」と子どものやりたいことを潰してしまうこともあるかも。

子どものやりたいことを潰してしまうのは、我が子が自分の想像の範囲から出るのを親が怖がっているから。言い方を変えると、我が子が自分のキャパシティを越えるのが怖いから。

こんな不幸なミスマッチに効くのが、「やりたいことはやって、行きたいところには行く」です。

 

やりたいことはやって、行きたいところには行く

いつか親になるであろうわたしが今、やりたいことをやって行きたいところに行っておく。それは自分のキャパを広げることに繋がり、つまり自分の視野を広がるということ。経験を積むといってもいい。

自分の心の声に正直に生きる。そしたら我が子に「〇〇をやりたい」と伝えられた時に「いいぞ!」と心から思えるかもしれない。

「わたしの産んだ子どもだからあなたにできるはずがない」ではなく、「わたしにできたんだから、きっとあなたにもできるさ」と軽やかに応援できる親になりたいです。(経済的にも)

 

子どものためにも自分の視野は広げておくべき

自分の子どものやりたいこと、それを叶えるための選択肢を増やすためにも自分の視野は広げておくべきなので、何度も書くけどやりたいことはやって行きたいところには行っておくべき。チャレンジしたいことにはチャレンジしとくべき。

じゃないと自分の子どものチャレンジを応援できないし、やりたいことを打ち明けられた時にどれほどの勇気を使ってその話しをしてくれているかに気づけない。

子どもにとって最も身近な存在である親に応援してもらえる。子どもってそれだけでがんばれたりする生き物だと思います。

 

自分の視野を広げておくことは、我が子の幸せにつながる。

それってつまり、自分の幸せを大きくするということでもあるよなあ。

だから、色々言い訳したくなる世の中だけど健康に気をつけて、楽しくがんばりましょ。という記事でした!