「ブログ用の自分」なんて作らなくていい。

かざり(@kazali0617)です。

 

わたしにはたまに読み返して元気をもらう記事がいくつかあるのですが、昨日Twitterを見ていたらその中の1つがタイムラインに流れてきました。


記事を紹介しているのは、文筆家/起業家の山田 邦明さん。

記事を書いているのは、Jリーグ栃木SCマーケティング戦略部長でスナップマート創業者の、えとみほさんです。

 

どんなブログが読みたいか?

わたしは自分でブログを書くのはもちろん好きですが、同じくらい他人のブログを読むのも好きです。

これまで自分が書いた記事と読んだ記事、どちらが多いかを考えると、圧倒的に読んだ記事の方が多い。

 

理由は会ったことあろうがなかろうが「この人の書く文章おもろいな」というブログを見つけたら、最新から最古まで読んでしまうから。

「すごいあの人でも悩んでる時期もあったんだな」とか「若い時はそんな感じだったんか」と本人と話しているわけでもないのに、ブログに書いてある情報を知ることで、心の距離が近づいたような気持ちになる。

 

過剰に距離が近づくのは苦手だけど、ブログという文章を通じたコミュニケーションは「知る」と「謎」のバランスがちょうど良くて、個人的にはとても気に入っている。

自分や誰かのことを知りすぎることもないし、知らなさすぎることもない。

ほど良い距離感で読めるブログがとても好きで、そんなブログをたくさん読みたいと思う。

 

なんでもない自分をもっとブログに残そう

えとみほさんの記事の中で特に好きなのは、この部分。

こんな風に長きに渡って書かれた文章というのは、間違いなくその人の人間性を表す。

文章は怖い。継続的に書く文章で、普通の人が自分を偽る嘘をつくのはとても難しい。

 

ブログをはじめてしばらく経った頃、どんな内容を書いたらいいのかわからなくなった。

ブログに対しては本当に色んな意見があって(人の数だけ正解がある、と考えると当たり前なのだけど)軸も芯もないわたしは、情報の渦に飲み込まれそうだった。

 

「専門性を持つべき、何かに特化すべき」

「コンセプトやターゲットを明確に」

「ごちゃごちゃ言わずに、まずは書け!」

 

間違いも正解もない。全ては自分の頭で考えて判断し、進めなくてはいけない。

確かそんな時にえとみほさんの記事を読んだんだと思う。

 

「自分は何を書きたいのか」

 

問う度に答えは変わるけど、必要以上に自分を大きく見せたくはないし、このままの自分を文章という形で残しておきたいと思った。

自分のことを誰かに知ってもらうなら、自分で書いた文章がいい。だって文章が好きだから。

 

決心や覚悟だけじゃなくてもいいと思う

「あの人ブログやったらいいのに」と思う人が何人もいる。理由はわたしが読みたいから。

そして何人かは実際に始めてくれた。でも物足りない。それはどこか決心を語っていて、覚悟を再確認するような文章だから。

 

「明日から○○を始めます!」

「今年はこういうことを達成します!」

そうか!いいね!わたしも頑張るから、お互い気張ろう!

 

でもわたしが本当に読みたいのは、なんでもない日のあなたの頭の中なのです。

とある日の決心や覚悟は眩しいくらい輝いていて、それも素敵だけど。

わたしが読みたいのは、凪いだ一日なのです。

 

「ブログ用の自分」なんて作らなくていい

ブログのために自分を偽る必要はないと思っている。

ブログ用の自分なんてブログの中でしか役立たない。脇役もいいところだ。

それよりは普段の自分の分身ぐらいに考えて欲しい。

 

過剰に大きく見せた自分はいつの日か自分に牙を向けるし、過剰に蔑んだ自分はいつの日か大事なものと一緒に遠くに消えていってしまう。

なんでもない日の自分を恥ずかしげもなくネットの海で叫べた時、本当の意味で自分を認められたような気になるのだ。