ダサいのは嫌。どんなに心が乱れても、一度それを信じたなら堂々としていればいいさ。

かざり(@kazali0617)です。

先日のとある場での出来事が自分の中でうまく処理できず、数日経った今もけっこう引きずっています。

メンタル的な体力がガガーッと削がれてしまい、鬱々とした時間を過ごしていました。

しかし本日、とある方とお話しする中でちょっと楽になりました。

心に余裕が生まれました。

余裕が生まれると空いた余白にまた違う考えが入ってくるもので、

精神的に少し成長できた気がするので、ちょっとだけ聞いてください。

先日のとある場が終わった後のわたしは、写真のような状態でした。

海は青く空も晴れているのに、わたしは首をもたげ、うなだれている。

悲しさ、悔しさ、怒りが頭と心を支配していました。

(先日のとある場がどんな雰囲気で何があったのかについて書いた方が、読んでくれている皆さんに伝わりやすいのは重々理解していますが、ここで書くのは適切ではないような気がするので控えます。)

いろんな感情が湧き上がり、泣きながら帰りました。

寒空の下、頰を伝う涙に体温を奪われまくりました。

結論から言うと、どんな言葉をもらおうが、どんな感情が生まれようが、

タイトルに書いたように

どんなに心が乱れても、一度それを信じたなら堂々としていればよかったのです。

とある場から帰った夜は、高ぶってしまい眠れなかったです。

悶々としたまま朝を迎えました。

 

と、ここまではまだいいのです。

悲しみや怒りは時間が経てば癒えるでしょう。

おいしいものでも食べて、好きなことをやって気を晴らせばよかった。

 

 

問題は、次の日の深夜。

わたしは荒ぶる右手を抑えられず、トゥイッターで感情のままに呟いてしまったのです。

それはもう、誰が見ても感情のまま書いているのがわかるほどの駄文。

 

かろうじて文字にはなっているけれど、はたから見たらギャーギャー感情のままに叫んでいるだけ。

「キズツイター!カナシイー!タスケテー!」

まあ、悲劇のヒロインぶっているというわけです。

や〜、あの時は感情の処理が追いつかず思いついたまま呟いてしまいましたが、冷静に見るとまずい。

ダ・・サ・・・・・い・・・・。

そう。非常にダサいのです。

うるさいし、ダサいのです。

うるさいし、ダサいし、かっこ悪いのです。

 

美徳や、凛とした態度とは対極にある姿勢でした。

わたしが憧れている方々と程遠い、幼稚な態度でした。

反省しております。

タイムラインでお騒がせした皆さん、ごめんなさい。

以後、本当に気をつけます。

反省点

・その場にはいないけど、わたしのことを応援してくれている人がいることを見失っていた

・怒りの感情が表に出すぎた

・必要以上に怯えたモーションを取ってしまった

・フラットに話せるだけの理論を持っていなかった

・お腹が空いていた

 

わかり合えなくても、尊重はできる

あの日のわたしは、尊重してもらえるレベルで自分の考えを話せていなかったなあ。

尊重されることがそんなに大事?という議論は置いといて。

 

事情を知らない人には意味がわかりにくい内容になってしまいました。

ごめんなさい。

 

1つだけ言いたいのは、

誰かや何かに対して怒りが生まれた時は、まずは近くにあるノートに思いつくまま言葉を書いてください。

決して感情のままトゥイッターなど、SNSに書き込まないように。

ある程度感情の整理と処理が済んだら、あったかいものでも食べてください。

 

そして元気になったら、いっしょにロジックを磨きましょう。

わたしは帰納法と、演繹法からはじめます。

おー!